臨済宗 南禅寺派 天徳寺

写真:臨済宗 南禅寺派 天徳寺(佐賀) 写真:御本尊 写真:天德寺橋

「わらべ歌の寺」 臨済宗南禅寺派 天徳寺

【山号】種福山
【寺名】天徳寺
【宗旨】臨済宗 南禅寺派
【創建】西暦1054年(天喜2年)9月9日
【開山】大慶和尚
【本尊】十一面観世音菩薩・不動明王・毘沙門天の三尊像を祀る
(平安時代から学問の神"菅原道真公"を祀る)

天徳寺縁起

 西暦1054年(平安時代)に佐賀市鍋島町に現存する蛎久天満宮御本地の十一面観世音菩薩・不動明王・毘沙門天の三尊像を祀るため、後冷泉天皇の勅命により安楽寺天満宮(現在の太宰府天満宮)の末寺として肥前蛎久(蛎久天満宮の東隣、現在の蛎久公民館)に建立され、学問の神 菅原道真公を奉る歴史的に大宰府天満宮との関係が大変深い古刹である。
 西暦1570年龍造寺隆信の時代に大友軍との「今山の合戦」で戦火に遭い本堂を消失。その4年後の西暦1574年に佐賀の城下町を造るために当時、蛎久天満宮の諸事を司っていた当山住持竹庵和尚が鍋島直茂公の命を受け現在の場所(佐賀市伊勢町/旧:六座町・長崎街道)へ寺を移設。同年、当寺の向いに蛎久天満宮を分祀して北面天満宮を建立。当時の六座町は隣接する点合町(現在は伊勢町の一部)も含まれていた。(1600年頃に六座町の東半分を点合町として分離)江戸時代には鍋島家の祈祷寺として栄えた禅宗寺院である。
 天徳寺と北面天満宮の間に架かる「天神橋」はかつて「天徳寺橋」と呼ばれていた。天徳寺橋を舞台にした、佐賀のわらべ歌♪「雪やこーろ」♪が伝わる。

佐賀のわらべ歌「雪やこーろ」

天徳寺には わらべ歌「雪やこーろ」が伝わり「わらべ歌の寺」とも言われています。
この「雪やこーろ」は佐賀城下で、その昔よく歌われていましたが
今では歌える人も少なくなりました。

写真:わらべ歌

「雪やこーろ」という優しく素朴な響き。
「カラス」や「セッタ」という言葉は黒衣をまとい雪駄を履いた和尚さんを連想させられます。この歌詞に出て来る橋の名前は元々は天竺橋でしたが天竺のような高貴な橋ということで天徳寺橋と歌われるようになったと伝えられています。
「スミやこーろ」は白い雪が融けて黒くなっていく様子なのかも知れません。

天徳寺インフォメーション

写真:いぼ地蔵尊

いぼとり地蔵尊

境内入口に祀られる「六地蔵尊」は、いつの頃からか「イボ」で悩む人々から「いぼとり地蔵尊」として信仰を深めてきました。「イボを取って下さい」「イボを取って頂きたい」なんて丁寧にお願いしたら、せっかく取れたイボが戻って来ます。「イボを取れ!」と命令して下さい。

写真:弘法大師座像

弘法大師座像

境内入口に鎮座する「弘法大師像」、右手には「五鈷杵(ごこしょ)」という仏法の武具を持ち、左手には不浄の手を浄化するために数珠を持っています。かつては佐賀八十八ヶ所霊場42番札所として賑っていました。

写真:大庭雪斎

近代医学の祖 大庭雪斎の墓

大庭雪(1805-1873)江戸時代後期の蘭学者、医師。 島本良順、シーボルト、緒方洪庵に学び。佐賀藩校「弘道館」蘭学寮 初代教導、医学寮 の教導方頭取となる。
「弘道館」医学寮は後に「好生館」と改められ近代医学の礎となった。現在は「佐賀県医療センター好生館」と名称を変え佐賀県医療の中核を担う。

写真:天徳寺橋

旧 天徳寺橋

わらべ歌「雪やこーろ」の舞台となった旧天徳寺橋。現在は天神橋と名称を改めています。
6月になるとホタルが見られることもあります。

臨済宗 公式サイト リンク情報

◎臨済宗 黄檗宗 公式サイト:臨黄ネット


◎大本山 南禅寺